カテゴリー別アーカイブ: 生命に寄りそう

ノンデュアリティについての質問2

Q:
ノンデュアリティでは「自分はいない」ということがよく言われていますが、一方で真我への到達ということも言われています。
まるっきり矛盾しているように感じますが、どうして全く異なる説明がなされるのでしょうか。

A:
「自分」や「他人」という区分けは観念、つまり頭の中のイメージによるものです。
観念を通すことなく、ただ純粋に「在る」ことによって、名前や意味を投影する前の本来の世界の姿が顕れてきます。
それは自他という個別の境界に分かれていない存在一元の世界です。
そこにおいては、(他者の対概念としての)「自分」がありません。
ゆえに、「自分はいない」という表現になるわけです。

けれどそこにおいても、その「自分はいない」という体験をしている自分自身はいるわけです。
それはあらゆる存在世界そのものを映し出す、“場(スクリーン)”としての自分です。
世界の中のあらゆるカタチに属さない絶対無、無限定なる“場”こそが、自己の真実の姿です。
それを本当の自分という意味で、真我と呼んでいるのです。

ノンデュアリティについてのご質問1

Q.
ノンデュアリティ(非二元)について一通り色々な説明がなされた今、改めて質問します。
言葉を超えた“これ”とは何でしょうか。

A.
現前している“リアリティ”そのものです。
ノンデュアリティとは、存在一元のことであり、存在とは、今、ここに展開しているリアリティ、現実性そのものです。
それは非二元的な、絶対のものでもあります。
存在以外のものは、文字通り「存在しない」からです。

そしてそれは言葉(観念)を超えています。
いくら言葉をなぞらえても、掴んだものは頭の中の観念、イメージにすぎません。
それらのイメージに関わらず、全てはただ存在しています。
自他の観念を超えて、実際にはただ「在る」ということだけが在ります。
まさにそれこそが“実在”(リアル)です。
思考に拠らずリアリティそのものに寄りそえば、「あるがまま」という、ニュートラルな現実の世界が観えてきます。

ぷらす☆にぅとらる2

昨日のお話会では、当日だけでなく、何と会の途中で申し込みのメールなども頂き、慌ただしくも楽しい会となりました。
けれども通信上の問題から、特に一部の方にご不便、ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳なくも感じています。

けれど内容としては、素敵で有意義なものとなったように感じます。(僕はサポート役なので何もしていませんが……。笑)
田村まゆみさんのお話はとても楽しく、その端々に気付きが散りばめられており、僕自身もとても引き込まれました。
ニュートラルな愛情を深く体現している方なので、その在り方そのものが目標になります。

ただし、「ニュートラル」を固定的なものとして目指し、自分を追い込んでしまうと、ニュートラルではなくなってしまいますからね。
真のニュートラルとは、ただ真ん中にいることだけではなくて、前後左右、どのようにでもなれるということです。

いわば何でもあり。
なのですが、それが不安に基づいた選択だと、自分自身が苦しくなってしまいますよね。
だからもっと、楽しくて幸せな在り方があるんだよということを僕たちは伝えているだけなのです。

自分が今どこにいるべきなのか。
それを決めるのは、自分自身のハートです。
ニュートラルで在ることは、自分の内に生命の鼓動を息吹かせてくれます。

ニュートラルに生きる

前回の勉強会では「ニュートラルに生きる」という話題も出ました。

「引き寄せからハートへ」にも書いたように、スピリチュアルでよく言われる「空」(絶対無)とは、無ではなく、有にも無にも限定されない無限定性、ニュートラリティそのものだからです。

次回のお話会では、まさに「ニュートラルに生きる」ことをテーマに多方面で活躍されている方をゲストにお招きして会を開きたいと考えています。

直にお会いすると、ごく自然体としてある中に、深い愛情が溢れているとても素敵な方で、まさに生命に開かれた在り方をそのまま体現されていると感じます。

トークも軽妙で大変楽しく、ナチュラルにハートに響く会になると確信しています。