月別アーカイブ: 2018年8月

ノンデュアリティについての質問2

Q:
ノンデュアリティでは「自分はいない」ということがよく言われていますが、一方で真我への到達ということも言われています。
まるっきり矛盾しているように感じますが、どうして全く異なる説明がなされるのでしょうか。

A:
「自分」や「他人」という区分けは観念、つまり頭の中のイメージによるものです。
観念を通すことなく、ただ純粋に「在る」ことによって、名前や意味を投影する前の本来の世界の姿が顕れてきます。
それは自他という個別の境界に分かれていない存在一元の世界です。
そこにおいては、(他者の対概念としての)「自分」がありません。
ゆえに、「自分はいない」という表現になるわけです。

けれどそこにおいても、その「自分はいない」という体験をしている自分自身はいるわけです。
それはあらゆる存在世界そのものを映し出す、“場(スクリーン)”としての自分です。
世界の中のあらゆるカタチに属さない絶対無、無限定なる“場”こそが、自己の真実の姿です。
それを本当の自分という意味で、真我と呼んでいるのです。

ノンデュアリティについてのご質問1

Q.
ノンデュアリティ(非二元)について一通り色々な説明がなされた今、改めて質問します。
言葉を超えた“これ”とは何でしょうか。

A.
現前している“リアリティ”そのものです。
ノンデュアリティとは、存在一元のことであり、存在とは、今、ここに展開しているリアリティ、現実性そのものです。
それは非二元的な、絶対のものでもあります。
存在以外のものは、文字通り「存在しない」からです。

そしてそれは言葉(観念)を超えています。
いくら言葉をなぞらえても、掴んだものは頭の中の観念、イメージにすぎません。
それらのイメージに関わらず、全てはただ存在しています。
自他の観念を超えて、実際にはただ「在る」ということだけが在ります。
まさにそれこそが“実在”(リアル)です。
思考に拠らずリアリティそのものに寄りそえば、「あるがまま」という、ニュートラルな現実の世界が観えてきます。

八月

土日祝日が完全に仕事で埋まってしまい、お話会の開催は当面お預けとなりそうです。

代わりにここしばらく毎日原稿作成に取り掛かっているのですが、上手く構成がまとまらず、書いては消しての繰り返しで、一向に進まず……。

これまで以上に苦労をしております。

いくつか質問を頂いているので、またブログも再開したいと思います。

今しばらくお待ちください……。